幼少期の環境が及ぼす影響と、極端な「思考の癖」
誰しも、何かしらの「思考の癖」を持っているものです。
ただ、私を含めた依存症当事者や、同じ生きづらさを抱える人たちと接してみて感じるのは、その癖が「強すぎる」ということです。
代表的な思考の癖をざっくり書き出すと、以下のようなものがあります。
- 他人軸(人目を気にしすぎる)
他人の評価や「自分はどう見られているか?」を極端に意識し、それを中心にした行動をとってしまう。 - 二極化思考(白黒思考・0か100か)
物事を両極端に捉えてしまい、「する」か「しない」かの二択になり、グレーゾーン(曖昧さ)を受け入れられない。 - 「〜すべき」思考
自分だけでなく他人にも厳しいルールを課してしまい、お互いを追い詰めてしまう。 - 過度の一般化やラベリング
一度の失敗や出来事で「いつもこうなる」「どうせ自分はダメだ」と、すべてをネガティブに決めつけてしまう。
この思考の極端さこそが「生きづらさ」の根源のひとつであると、私自身、過去を見つめ直した時に強く感じました。
では、なぜそんな癖がついてしまったのでしょうか?
私個人の考えですが、そこには「幼少期の環境」が大きく影響していると考えています。
例えば、子どものこころを傷つける環境(機能不全家族の傾向)として、以下のような例が挙げられます。
虐待や家庭内暴力(DV)、育児放棄(ネグレクト)、両親の不仲、条件付きの愛情、家庭の経済的困窮、親の精神的な不安定。そして、特に親が無意識にやってしまいがちな「情緒的・心理的な否定や無視(子どもの感情や訴えを軽視する、否定する、あるいは無関心でいること)」などです。
もうひとつ、傍目(はため)からは分かりにくい「一見、恵まれた家庭」に潜む問題もあります。それが、過干渉や過保護です。
子どもの意志や意見よりも、「子どもを想っての、親の言うこと」が絶対的に正しいとされ、親の描く理想のレールに子どもの人生を乗せてしまうことです。この環境で育った方の特徴として、自分で決断できない、他人の意見に委ねてしまう、思春期特有の反抗期がないまま「周囲からは良い子」として扱われて大人になる、といった傾向が見られます。
子どもたちは、大好きで一番頼れる両親に「好かれたい」「認められたい」と、生きるために必死で頑張るわけです。
暴力や無関心は論外ですが、親が「子どものために」と思って一生懸命頑張っていても、受け取る子どもにとっては、安心できるはずの家庭で寂しい思いをしたり、常に親の顔色を気にしたりしながら大人になってしまうケースは少なくありません。
私は、ご両親を責めるためにこの記事を書いているわけではありません。
これは想像の域を出ませんが、きっとそのご両親も、同じような育てられ方をしてきたのではないかと思っています。自分がされてこなかったこと、知らないことは、我が子に接しようも教えようもありませんから。
もう少し深掘りすれば、ご両親も実は「生きづらさ」を抱えて生きておられて、たまたま時代や環境が違っていただけなのかもしれません。
家族のそれぞれが、「家族のため」や「世間体」を過剰に意識しすぎていると、個人のこころは疲弊し切ってしまいます。「楽しく豊かな家庭を作りたい」と頑張っていても、疲弊している空気は、本人の自覚がなくても周りにそれとなく伝わってしまうものです。
前の記事でも書きましたが、それぞれが自立し、共に存在できる家庭(健康な支え合いである「相互依存」の環境)こそが、依存症の回復に必要な「居場所」なのです。
今回はご両親宛てのような内容になりましたが、これはご夫婦やパートナー関係でも同じことが言えます。
「パートナーをなんとか私の手で立ち直らせる」という強い献身的な想いは、裏を返せば、そこに「あなた自身の存在価値」を求めてしまっているから(共依存)かもしれません。
当事者のことだけではなく、家族全体のあり方、そして自分自身の生き方を見つめ直す機会なのかもしれません。


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